時間を開ける。寿司が回る。

ずっと実家暮らしの私、やることが山盛りで、家事は頼まれない事をしないかぎりは、ほぼやっていない。
配線、書類整理はするけど、食事を作ったのは一ヶ月前になるだろうか。

母は、インスタ映えするような料理は作れない、毎日頭を悩ませながら自転車に乗り安くて食べごたえのある惣菜を探してまわっている。

なので、夕飯の時間に母を労うように家族で揃ってご飯を食べることが多い。我が家は父の晩酌から始まり皆でクイズ番組の答えを言い合いながら夕食をする。いつも1時間半くらいはたってしまう。



-ずっと思っていた。-

例えばの話、家に帰ってから食事するのでなく仕事帰りにフラッと一人で外食してから帰宅すれば時間の短縮になるし家事負担も減るし、私もそれだけ自分の時間が持てるのではないかと。


ここ半年くらいずっと思っているだけで、実行にうつせていなかった。家族の時間も大事だから家族の都合を考えず勝手に食事をするというのは、それを裏切っている気分になる。(もちろん、友人との食事のときは事前に一声かけている)
友人との外食はするが一人での外食なんて、所要があるときにファーストフードによるくらいがせいいっぱいのアラサーなのだ。

-こうやって、こうやって日々が過ぎていく中でアラフォーになると思っていた。-

私の目の前に「180円のお皿が半額!」という回転寿司の旗が翻っていた。
父の晩酌のつまみ用にかったスナック菓子の入ったコンビニ袋が下げていないほうの手が、気づかぬうちにスマホを持っていた。
「お母さん、私お寿司食べて帰るから」幸運なことに今日の夕飯の準備は、そんなにしていなかったそうだ。

-飛び入ってみた、一人回転寿司。-

最初は美味しかったものの、お寿司が目の前を流れてくるたび父と母の顔も頭の中に流れてくる。
「やっぱり家族と食べたいな。」お店の人に持ち帰りを注文すると、混雑しているから20分かかるという。時間を見てギリギリ父の晩酌が終わる頃に間に合うと注文。

-もう、気持ちもいっぱいでお腹もいっぱいで本当は早く帰りたかった。-

そんなとき友人からライン通知が来た!「このブログ面白いよ!」
確かに、若い才能のみずみずしさを感じるものだった。回転寿司店の賑わいとは裏腹に鮮度が落ちていくような回る寿司と私の姿がわびしく感じてたまらなかった。
当て付けに、その友人に「回転寿司美味しいよ!」と皿だけの写真を送ると「うまそう!」という友人からの謎のラインの返答が続く。そんなよくわからない返答のおかげで安堵感が訪れた。「あー、いつもの私の時間に戻ってこれたわ。」

-バタンッ!という音--

早く店を出ようと、お会計をする前に客のおじいさんが汁物が出るのが遅すぎると喚いていて、お会計を待たされる私。「
ラッキーだな!そのお椀180円で普通に換算されるから受け取らなくて正解だぜ!だから早く店員こっちに寄越せ!」とせいてる私が一人西部劇ごっこを頭の中をしていた。

おみや代は半額にならないとのことで、軽い財布と罪悪感の重さのするお土産袋を持って店を出た。

あと一歩のところでバスに乗れず春風に吹かれる私。-バス停は生魚の匂いがした。-