私のおじいちゃんは戦争に行った「らしい」

終戦記念日だし。

このツイートが素晴らしかったので
憶測になってしまうから
いままで、あんまり話してなかったことを書く。


私のおじいちゃんは戦争に行った。
でも孫の私は戦争について、よく知らないのだ。

戦地はフィリピンだったらしい。おじいちゃんは面白いこととトマトジュースが好きで良く色んな話をしてくれた。「戦争の傷跡で膝の下に弾が入ってた」という話しを膝の傷跡を面白おかしく脅かしなから話してくれた思い出はあるけど、孫の私にそれ以外の戦争での話はそんなにしなかった。

おじいちゃんの身体がいよいよ弱って施設に入ったとき、お見舞いに行った。
ベッドで「私が書道で入選したこと」と、「おじいちゃんが兵隊に入団した話」を、繰り返しずっと自慢してた。私と同じで『自慢』をすることが好きなおじいちゃんだった。

おじいちゃんからは、その二回しか直接、戦争の話しを聞いたことがない。だけど、おじいちゃんは、戦争に対して無関心だったのでなく戦争反対の運動に賛成していた。


ここからは、母から聞いた話しを通しての私の憶測。
ただ、「おじいちゃんの青春」は戦争でできてしまったものなのだと感じた。
家を出たことも、無事に帰還しておばあちゃんに出会ったことも戦争を通さなければ無かった運命だから、孫には話たくなかったのもしれないと考えた。

母から聞いた話。
おじいちゃんは、幼少期ド貧乏だったらしい。
幼いころのおじいちゃんは赤ん坊の弟を背負って丁稚奉公していた。山に登った時に、身内がクチ減らしにおじいちゃんと弟置いていった。おじいちゃんは、その時、さすがに死んだほうが良いのだと山から弟をなげて自分も身を投げようとした。そこで、弟がおいおい泣きやまないから渋々帰りたくない道を弟を背負って家に帰ったという。
その後すぐに、おじいちゃんは兵隊に志願した。
兵隊に志願することで貧乏な家からすぐに出れると考えたんだと思う。
戦地では、兵隊さんはほぼ「お母さん」と叫んで死んでいくらしい。最愛の人を叫びながら亡くなっていってしまった人と共に、戦地で「お母さん」と思えなかった、おじいちゃんはどんなに辛かったことだろうと思う。

志願したおかげか、強運か、生きることへの執着か、おじいちゃんは無事に帰ってきたのだ。

一番ビックリなのが、この後でドラマなら無事に帰ってきたおじいちゃんと家族の感動の再開になるはずが、
身内達は、おじいちゃんが戦死して恩給が貰えると思ってたから、無事に帰ってきたことにさぞかし驚いて落胆したらしい。


そんな気持ちまで貧相にしてしまうような貧乏な生活を送っていたら、そこに「戦争」という窓口があったのではないかと、おじいちゃんの志願の理由を私は思い当ててみた。

その後、おばあちゃんに出会う。すごい余談だけど、若い男の人が戦争でほぼ亡くなっていたためか
、おばあちゃんがやり手なのかは分からないけど、
おばあちゃんがサバをかなり読んでいたのに、おじいちゃんは気づかずに結婚してしまったらしい。

貧乏した苦労話より輝かしい青春より、
人が目の前で亡くなっていくことに喪に付して、戦争については大好きな自慢話を孫には控えていただろうおじいちゃんとの慎ましやかな思い出に冥福をこめて。

私も宝くじは当たらなかったけど、恵まれている環境に感謝して心豊かに生きていきたいと思う。

2018.8.15

イヤなことも好きなもので上書きできる。

 久しぶりに書いた日記をスランプ脱出するまで、、、とりあえず墓参りの日まで続けたいと思う。

 ここのこと良い子な私でさえ「ヤダ!」とおもうことが、沢山あって精神的に重しになっていってたんだけど。

大好きな温泉と、大好きな音楽に触れてたら
あっと言う間に元気になってて良かった。
石川県まで行った。『加賀温泉郷フェス』
大好きな音楽は聞いてても踊ってても、大好きな音楽を奏でてる人を見てても元気になる。
そして、テンションであがった汗を温泉で流して楽しい日を過ごせた。泉質最高。

と思ったら、疲れてそうなおじさんと目があって、東京は朝から蒸し暑い。

途中経過

夏の匂いも、すぐに蒸発して消えてしまいそうな夜、皆様いかがお過ごしですか?
正常な方は、「災害」とも言われるこの夏に計画通りに、すべきことができなくて苛立ったり不安になったり退屈しているでしょう。
正常ではない私は、この夏が本番のように楽しすぎて浮かれています。

だって、こんだけ暑いんだから昔の嫌な思い出も全部焼きさってくれそうで。素敵じゃないですか。
聞くたびに切なくなっていた曲でさえ、新たな恋の曲に変わるように。

「何か」を書くのに、「何か」がしっかり書ききれない自分が嫌で、勝手にお休みしている間には、素敵な人をいっぱい見て感じて。それでも私には何の糧にもならなくて笑ってる。
素敵な人は、自分の「何か」をもって動いてるの。

スチームで脳みそにアイロンをあてられているように脳みそのシワも綺麗にツルツルになってくる私。
この異常な気象と気性をどうにかしなければ。

時間を開ける。寿司が回る。

ずっと実家暮らしの私、やることが山盛りで、家事は頼まれない事をしないかぎりは、ほぼやっていない。
配線、書類整理はするけど、食事を作ったのは一ヶ月前になるだろうか。

母は、インスタ映えするような料理は作れない、毎日頭を悩ませながら自転車に乗り安くて食べごたえのある惣菜を探してまわっている。

なので、夕飯の時間に母を労うように家族で揃ってご飯を食べることが多い。我が家は父の晩酌から始まり皆でクイズ番組の答えを言い合いながら夕食をする。いつも1時間半くらいはたってしまう。



-ずっと思っていた。-

例えばの話、家に帰ってから食事するのでなく仕事帰りにフラッと一人で外食してから帰宅すれば時間の短縮になるし家事負担も減るし、私もそれだけ自分の時間が持てるのではないかと。


ここ半年くらいずっと思っているだけで、実行にうつせていなかった。家族の時間も大事だから家族の都合を考えず勝手に食事をするというのは、それを裏切っている気分になる。(もちろん、友人との食事のときは事前に一声かけている)
友人との外食はするが一人での外食なんて、所要があるときにファーストフードによるくらいがせいいっぱいのアラサーなのだ。

-こうやって、こうやって日々が過ぎていく中でアラフォーになると思っていた。-

私の目の前に「180円のお皿が半額!」という回転寿司の旗が翻っていた。
父の晩酌のつまみ用にかったスナック菓子の入ったコンビニ袋が下げていないほうの手が、気づかぬうちにスマホを持っていた。
「お母さん、私お寿司食べて帰るから」幸運なことに今日の夕飯の準備は、そんなにしていなかったそうだ。

-飛び入ってみた、一人回転寿司。-

最初は美味しかったものの、お寿司が目の前を流れてくるたび父と母の顔も頭の中に流れてくる。
「やっぱり家族と食べたいな。」お店の人に持ち帰りを注文すると、混雑しているから20分かかるという。時間を見てギリギリ父の晩酌が終わる頃に間に合うと注文。

-もう、気持ちもいっぱいでお腹もいっぱいで本当は早く帰りたかった。-

そんなとき友人からライン通知が来た!「このブログ面白いよ!」
確かに、若い才能のみずみずしさを感じるものだった。回転寿司店の賑わいとは裏腹に鮮度が落ちていくような回る寿司と私の姿がわびしく感じてたまらなかった。
当て付けに、その友人に「回転寿司美味しいよ!」と皿だけの写真を送ると「うまそう!」という友人からの謎のラインの返答が続く。そんなよくわからない返答のおかげで安堵感が訪れた。「あー、いつもの私の時間に戻ってこれたわ。」

-バタンッ!という音--

早く店を出ようと、お会計をする前に客のおじいさんが汁物が出るのが遅すぎると喚いていて、お会計を待たされる私。「
ラッキーだな!そのお椀180円で普通に換算されるから受け取らなくて正解だぜ!だから早く店員こっちに寄越せ!」とせいてる私が一人西部劇ごっこを頭の中をしていた。

おみや代は半額にならないとのことで、軽い財布と罪悪感の重さのするお土産袋を持って店を出た。

あと一歩のところでバスに乗れず春風に吹かれる私。-バス停は生魚の匂いがした。-

足枷と防波堤の話。

樹木希林さんが、内田裕也さんと離婚しないのは「私の足枷だから」と話していた。
凄く良い言葉だと思った。樹木希林さんは旦那さんの内田裕也さんというハチャメチャな人間の足枷があるから、その人より変なことはできないしその人を支える責任感があると。

私も、親という足枷がなければどうなっていただろうと思う。
怖がりの癖に走り出したら止まらなくて楽しいことが大好きな私は、たぶん今より夜ふかしするし、放浪の旅に出ている可能性もある。日本にいない可能性も高い。

それをしないで平凡でいれる私は、幸せだし安心だと思う。一日中遊んだら親の落ち込み具合に反省をすることができる。
親に縛られることが悪いことだと思う人がいるかもしれない。縛られるていのでなく、防波堤になってくれているのかもしれない、その人がいれば酷いムチャは控えるようになる。

つまらない人生かと思いきや、限られた時間を教えてもらうことで有益な時間を本当に大事なことにだけ大事にできるようになった。だから大変な期間も後から貴重だと思えた。
私も一番大切な人を一番大切にできる人生にしたい。

ずっと会えていない友人に贈る。
元気になったら会おうね。

喧嘩と対価

お久しぶりです。近頃は環境も変わりストレスもなくと言ったら変なのですが、緊張しすぎて肉体的に右手が痛い毎日です。片手スマホポチポチ文字入力派の私は何かを書く生活を億劫にし人のツイートを読み、その代わりに自身日々の振り返りを後回しにしておりました。
本日は友人の発見によりブログが発掘されましたので、久しぶりにポチポチする所存です。


《ビール瓶のお話。》
ビール瓶が話題になっていますが、最近自宅でビール瓶でビール飲む人いないですよね。
昔は父が晩酌でもっぱらビールは瓶で飲んでおりまして、近くの酒屋さんに瓶を返しにリサイクル行くと、1瓶、30円〜50円くらい?貰えました。
わずかな瓶台をお駄賃に自転車のかごに入れて持っていったものです。そして、ちかくの駄菓子屋さんで駄菓子を買ったものでした。

というのは前置きで、『人を瓶で殴りたくなったことありますか?』
ー申し訳なく「はい」と答えた方はどこまでか本気で殴ろうとしていた記憶があるのでしょう。
ーテンション高く「イエス!」と答えた方はその場のノリで生きてしまう部分があるので気をつけてください。
私はどちらもです。笑

【喧嘩をふっかけてくる人はたちが悪い】
今回の、ビール瓶の件 その場にいた当人同士でしか実際のことは分からないので外野からガヤガヤ言うつもりはないのです。それでも、ワイン瓶で人を殴りたくなるほどの喧嘩をふっかけられたことのある身としては、本当に喧嘩をふっかけてくるやつはたちが悪いですとしか言いたかったのてす 。
自分で言うのも変ですが、大分温厚な私です。それでも、ワイン瓶で人を殴りたいと思ったことがあります。実際の狂気には至らなかったですが、そこまで私が怒り心頭になっていても、喧嘩をふっかけてくる相手というのは。どこか「この人なら、なんだかんだ言って絶対逆らってこないだろう」という慢心、甘え、人を下にみた態度があるのです。
大体にして、喧嘩をふっかけられる人は その人のことを「はい、はい」と面倒みてあげれるくらい懐深いのです。ただ、どうしても「てめぇ、ここでその態度とるか!?って具合な事をされると日頃の鬱憤から反転攻勢してちゃぶ台ひっくり返したかのように冷静と情熱の間のごとくキレます。それはもうキレます。

【喧嘩図式】
この状態を、第三者目線つまり、傍から見ると
「普段温厚な人が、ちょっとした事でキレた。今日はいつもと違うな機嫌でも悪かったのかな?」くらいにしか思えません。
こういう時に、喧嘩をふっかけてくるやつは先ほど忠告した通り「たちの悪いやつ」なんで
「えー、○○さん怖ーい!急に暴力振るってきて意味がわからない。辛い。」とか言い出します
。こちら側は「てめぇに、日頃から感情を勝手にぶつけられて目に見えない暴力を極限まで味わわされて、蓄積された感情で手に負えなくなった結果コレなんだよ!」と理屈はあっても、暴力をふるったら暴力をふるった側が負けてしまうのです。
相手はたちの悪い人間なので、そこのとこなんとなく理解してます。なので周りの第三者から自分のほうが悪い人だと気付かれてくると、こちら側から手を出させるような態度をわざとしてきます。

【喧嘩の値段】
それでも、感情が耐えきれなくて暴力をふるうとまではいかなくても喧嘩を買ってしまいたくなるときがあります。結論から言いますと喧嘩なんてものは、「口喧嘩を熱き討論、殴り合いを友情の熱い絆。」と、いくら綺麗に話してもビール瓶で返却された代金、たかだか1本30円〜50円くらいにしかなりません。
と現金換算することで、たいがいのことは「くだらない」とながせます。それでもはらわたが煮えくり返り「アイツまじで許せねぇ!」となったら駄菓子のネーミングの「タラタラしてんじゃねぇよ」(タラの加工食品の駄菓子)のように現実をユニークに受取りましょう。
喧嘩をふっかけられる人というのは、こんな口汚いブログをここまで読んで時間費やしてくれる優しくて真面目すぎる人が多い気がします。だって、優しくて真面目じゃないと売られた喧嘩も買ってあげない途中でスルー(放任)しますから、それでもスルー(放任)はしたくないという負けず嫌いの人は暴力以外でどこまで相手に度肝を抜かせるのかが勝負です。
相手の事を考えると癪なので、周りにこの状況をいかにユニークに受け取らせる化考えて行動するのがベストです。
例えば日頃からうまい棒を3〜5本束にまとめて素振りしてるくらい関わりたくない人間になって喧嘩を売られないようにするというのも手かもしれません。

喧嘩なんて良くて30円〜50円にしかならないのだから、

独断と偏見だけでは、お仕事は進まない。

いまお仕事について考えることがいっぱいあります。その中で考える「考え方」について気になったことがあった。
男性脳、女性脳 思考回路捉え方の違いがあるそうです。
男性的考え方と女性的考え方があると言われてて、そこらへんは詳しくは分からないのでグーグルでざっくり見てもらったほうが分かりやすいんですけど、なんとなく私のイメージとしてあるものは女性脳は「直感、好き嫌いを大事にする、現実的。」男性脳は「長考、好き嫌いとか特に考えてない、理想的。」

男性脳と言われ喜べてた自分から、現実を知った自分に。
「女性なのに、考え方が男性みたいだね」って言われると喜ぶ人いるでしょ。たぶん私も10年前くらい前までは、そういう感じで人とは違う人に憧れていた。それでも色んな経験をする中で女性的考え方って凄く大事だし、生存競争ではそれのが優れているのではと思わされたとき、なんの憧れもなくなった。そして色々と挑戦しているとき「仕事に向き合う姿勢」について考えることがあり友人に話を聞いてもらって、私の意見を話したら「男性脳なんじゃない?」って答えられてしっくり来なかった。それは、自分の立場で仕事を上手く出来てない言い訳をもらってしまったように感じたから。

納得しないと前に進めないのも男性脳の特徴になるなのか。
そんな優しい友人をもつ頭の悪い私は、それから「男性脳」と言うワードが頭の片隅残っては消化不良になっていた。ふと、インターネットで『男性脳は研ぎすませていってしまうと精神疾患になりやすい(脳の役割が近い位置にあるらしい?)』との情報を得てめっちゃ納得したした。
だから、この偏屈な性格で仕事をするには現実も大事にしていかなければならないと思った。
ここに書かれていることは すべて私の頭の整理のために独断と偏見で書きました。社会のお役に立つような研究でもないし、ここに書かれていることが真実なのか何なのかなんの保証もできません。あしからず。